こんな私ですが、6年間捨て活をしていてもどうしても捨てられないものがあります。
それは「義母からプレゼントされたレシピ本」です。
「ふーん、そうなんだ」とゆるっと聞いていただけたらうれしいです。
捨て活で気づいた「捨てられないもの」の存在
「捨て活」とは、不要な物を整理し、自分にとって本当に必要な物だけを残していく活動のこと。
着古した服や使っていないキッチン用品、読み終えた雑誌など。
今まで気が付かなかっただけで、意識してみると手放せるものがたくさん出てきたりします。
でも、ときどき「手が止まる瞬間」があるんです。
使っていないし、今の自分には必要ない。
わかっているけど、捨てられない。
わたしの場合、それが義母にプレゼントされたレシピ本たちです。

義母からのレシピ本 ― 新婚の頃の思い出
新婚の頃、義母からプレゼントされたレシピ本。
結婚したばかりの頃、料理がまだ不慣れだった私を気づかってか、お鍋や食器とともに贈ってくれたものでした。
その本には、家庭料理の定番がたくさん載っていて。
私はそれを見ると「お料理頑張ってね」と言われているような気持ちになります。
昔も今も、私はお料理をする時はいつもスマホでレシピを検索しています。
レシピ本を見ることはありません。
そもそもお料理が得意ではないし、なんなら考えたくない(作りたくない)日がほとんど。苦手意識も強いです。
義母はお料理がお好きで、好意でやってくれていることがわかるので、
レシピ本みて作ってみたらいいのはわかっているのですが、
どうしてもやる気がでない。
見ても面白くない…🙃
それでも、貰い物のレシピ本をずっとずっと手放すことができずにいます。
人からもらったものは捨てられない自分に困る
捨て活をしていて、手が止まるのは「人からもらったもの」。
夫や義母からの贈り物はもちろん、友人からのプレゼントや子どもが描いてくれた絵なども、どうしても手放せない自分がいます。
物そのものはもう古くなっていたり、実際には使っていなかったりするのに、いざ捨てようとすると罪悪感でいっぱいになってしまうんです。
「手放す=その人の気持ちを否定するみたいで申し訳ない」
無意識にそんな気持ちが先に立って、手が止まってしまいます。
レシピ本がくれる“プレッシャー”
義母からもらった料理本は、大切な思い出の品であると同時に、私にとってはプレッシャーの象徴でもあります。
本を開くたびに「お料理しなさい」と言われているような気がして、心がぎゅっと重たくなります。
義母にそんなつもりがなかったとしても、私自身の中に「もっとちゃんと家事をしなきゃ」という気持ちがあるからこそ、本がその思いを映し出してしまうのかもしれません。
でも、そのプレッシャーを感じること自体が、義母の存在や、私が“お嫁さんになった頃”の気持ちを思い出させてくれるのも事実。だから余計に手放しづらいのです。
捨てられないのは「まだ必要だから」
最近になって思うのは、「捨てられないものは、今の自分にまだ必要なもの」だということ。
- 人からの贈り物は「大切にされた記憶」を残してくれる
- レシピ本は「家族を思う気持ち」と「義母との関係」をつないでくれる
物そのものではなく、そこに込められた思いが今の私を支えてくれているのだと思います。
だからこそ、無理に捨てる必要はない。
罪悪感やプレッシャーも含めて、私にとっての「大切な感情」。
捨て活は“モノを減らす作業”であると同時に“自分の心と向き合う時間”
そう考えると、捨てられないものがある自分もまるごと受け止めてあげたいと思えるようになりました。
まとめ|捨てられないものがあってもいい
捨て活は“心の整理”でもあるということ。
物を通じて、大切な人との思い出や関係性を思い出す時間にもなります。
捨て活をしていても、どうしても手放せないものがあっていい。
むしろそれは、今の自分にとって必要な「心の支え」なのだと思うようにしています。

私の心の葛藤を聞いてくださりありがとうございます。自分の心と向き合いながら、ゆるーく捨て活&お片付け継続していきたいと思います!


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